一日一日 マジ 奇跡の連続なり

『わすれんぼ』短いお話だよ(日記にしては長いから注意)

「久しぶり」
白い肌と対照的に、艶やかな黒の短い髪。さっき風に飛ばされた桜の花びらが数枚そこに腰をおろした。その様があまりにも絵になっていて、返事をするのが遅れた。「あ、うん、久しぶり…なのかな」
僕は彼女のことがわからない。

正確には『思い出せない』のだ。

自分は忘れっぽい方だとは思っていたが、自分の母親の名前を忘れた時に、病院に行こうと決心した。去年の冬、半年前の話だ。
昨日あった人の名前が思い出せず、今では顔さえもわからない。
アルツハイマーに似ているが違うらしい。いくつもの病院をタライ回しにされ、最終的に出たのは『原因不明』。付け加えると『治療不可』。医者が難しい言葉で色々言っていたが、次の日には忘れていた。

人の名前や顔、思い出さえも忘れたのに、自分は原因不明の不治の病で、もう長くない事だけは覚えている。やっかいな病気だ。

「今日は映画でも観に行こっか」初めて聞く明るい声はどこか懐かしく、耳に心地よかった。

三ノ宮まで電車に乗って、駅の近くの映画館に着いた。その頃には、僕と彼女が恋人同士らしいことがわかった。

映画の内容は、若い女性がアルツハイマーに侵され、その苦悩を描いたものらしかった。

終わった後、パンフレットを読み返して彼女の話に合わせた。

僕は困った顔をしていたのだろう。楽しそうに話しているのを止めて、ごめん、と目を伏せた。彼女の辛そうな顔をみて、酷く胸が苦しくなった。眩暈がして、割れそうな程の頭痛が襲ってきた。


目が覚めた時、目の前にあったのは清潔感の漂う知らない天井だった。

麻酔を打たれて意識がぼーっとしているのだ。視界の端で白衣の男が年老いた女性にそう話しているのが聞こえた。
初老の女性はどうやら母親らしい。

目に涙をいっぱい溜めて、僕のものであろう名前を呼んでいる。

返事をしたいが気だるくて声が出ない。それはたぶん麻酔のせいではないだろう。


僕は終わりを確信した。


視界の中に、人の顔がたくさん写る。が、どの顔も知らない。
知っているはずなのだろうが、誰一人としてわからない。

各々が自分の名前と楽しかった思い出などを手短に話してくれた。僕の知らない、どこか違う人が主人公の物語。

信じられないほど恥ずかしい話や、元気だったら腹筋がつるほどおかしな話。

覚えてないけど、なんだか温かい。

神様がいるなら、彼(彼女かもしれない)はなんと残酷なのだろうと考えた。

一人一人の話に、心から共感して、共に過ごした時間を連れていきたいのに。それさえも許してくれないんだな。

そんな時、最後の最後で、全ての記憶が蘇ってきた。

などという奇跡も起こらず、だるいような、ゆっくりとした眠気が僕を襲ってきた。

知らない人たちの泣き顔で視界が満たされる。なんだよ、卑怯だな。自分たちだけ別れを惜しんで感傷に浸りやがって。僕にはわからないのに。

どうそならこんな僕を笑ってくれればいいのに。

でも、
誰の顔もわからないけど、僕はきっとこの人たちの事を愛してるんだろうな。頬に感じた冷たさで、枕に落ちた涙が自分のものだと気付いた。

皆が視界から消えて、母親であろう人と映画を一緒に観たと話していた女性の二人だけが残った。僕には父親がいないのだろうか。今となってはどうでもいい事だ。いてもわからないのだから。

二人で僕の左手を握って、必死に何かをしゃべっている。多分僕の名前を呼んでいるのだろう。
少し前からもうなにも聞こえなくなっていたから、憶測でしかないが、多分そうだ。
握られている左手の感覚もなくなってしまった。


大丈夫。

泣かないで。

なにも悲しくなんてないだ。

みんなのことわからなくてごめんね。

知らない話に相槌をうつのは少し寂しかったけど、

僕は



すごく幸せだよ。

だから泣かないで。

僕の愛した人。


眠くなってきたや。


でも最後に言わなくちゃ。

ありがとう

僕の為に泣いてくれて。

伝えなきゃ、

声に出して。

少し静かにしてね

今言うから。

「あ…、」

風前の灯ってやつかな。最後の力を振り絞った。

「1万円返せよな…」
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by hitem | 2007-04-17 03:45 | 日記
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そうだね。人生いやなことの方が多いんだ。
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